のぶろぐ | スペインで野球ときどきベースボール

サッカーの国スペインのバレンシアで野球をしながらスペインの日常を記す冒険の書(2020年3月に日本に帰国)

無題

どうも、こんにちは。

淺沼です。

何回やっても、ブログを更新する前は緊張してしまいますね。


さて、だいぶご無沙汰してしまいました。

みなさんお元気ですか?

お変わりないですか?

 
自分はいろいろありまして、現在岩手に戻ってきています。

今回はそのことについて少しお話できればと思います。


自分は今年の4月から、子ども達の自立を支援する仕事に就きました。

親の死別、貧困、虐待などさまざまな理由で家庭から離れる必要のある子ども達を保護し支援する。

そんな仕事です。

 
子ども達と一緒に“あまりまえ”の時間を過ごしながら自立への支援をしていく。話したり、笑ったり、ご飯を作ったり、勉強を教えたり。

自分自身もやりがいを感じていました。

子ども達が少しずつ心を開いてくれる瞬間。

できなかったことができるようになる瞬間。

未来への可能性を感じる瞬間。

たくさんありました。


一方、支援として求められることも高く、行政や関係各所との連携も必須。

全くの新しい分野。心理学、対応力、応用力など瞬間的な判断が命やその後に大きく影響することも。

正解がない、分からない中で最適解を選んでいくことの難しさもやりがいを感じると共に痛感していました。


そしてある日…

体に力が入らなくなる。

体が動かない。

吐き気で夜中に目が覚める。

毎朝シーツがびしょびしょになるくらいの寝汗。

反骨心丸出しの音楽どころか音楽すら受けつけない。

精神的に走れない。

ずっと続けてきた習慣がある日からできなくなる。

そういう状態が続きました。

おかしい。でもこんなの当たり前。みんなそうだ。

そう思う度、さらに悪循環。

 


何度も悩んで何度も相談を重ねた結果、

職場に退職を伝えました。


まさに完敗。

 
そんな中でも、子ども達と過ごす時間は本当に幸せでした。

この子達のために尽くしたい。自分と出会ったことで、少しでも一歩踏み出す勇気になってほしいと思った。

自分の話に目を輝かせてくれたり、悩みを相談してくれたり、それと同じくらい自分も助けられたり。

児童福祉の専門でもなく、心理に特質してるわけでもない、どこから来たのか分からない自分の名前を呼んでくれること、冗談を言い合えること、一瞬一瞬を笑い合えること。幸せでした。

 
他の職員や子ども達に迷惑をかけたくないという気持ちから勝手に壁やプレッシャーを作り、あっという間に抱えきれなくなっていました。

ここが自分の悪い所ですね。


日頃から声をかけていただいていた理事と話すと、ボロボロと涙が止まらなくなりました。

「弱い」「申し訳ない」「何もできない」「すみません」

心で唱える。

それと同時に、「あぁ…まだ感情がある」という安心感も溢れたのが分かりました。


その後、小一時間部屋で放心すると、

体が軽い。

外の空気の匂いがする。

ご飯の味がする。

表情筋が動いているのが分かる。

そんな感じでした。

 


正直、この決断をすることと、この記事を書くことは相当迷いました。

器用じゃないから、その分、続けることで物事にしがみついてきた自分。

5年かけて自分なりに歩んできた分、次の5年はどんなに苦しくても地に足つけて、勉強させてもらおうと決めていたのに。たったこの期間でのこの結果。

「かっこ悪い」「情けない」「根性なし」「アイツ、終わったな」

自分でもそう思うし、そう思われるのが怖かったのもありました。


でも、このままだと多分一生隠しながら隠れながら生きていく。罪悪感や後悔を感じながら生きていく。

この悔しさの意味まで誤魔化してしまう。

この期間、そして子ども達との時間すら無かったことにしてしまうような気がしました。

そう思い、恥ずかしながら文字に起こしてみました。


そして自分がこのことを受け入れ、新たに踏み出すためにできることは、この出来事やこの気持ちを包み隠さず記すことなんじゃないかと思いました。

 
このことは多分、いや、間違いなく今後に良い方向に作用することはないでしょう。

でも、だからこそ出来ることもあるかもしれない。ないかもしれない。

それでも人生は続く。

 


頑張れなくて、ごめんなさい。